研究内容

拡散性のゆらぐダイナミクス

過冷却状態におかれた液体中での分子の運動は不均一であり、かつ その不均一性は時間と場所に依存して変化する (動的不均一性)。 また、高分子のように内部自由度を持つ分子では、内部自由度を反映して 運動性が時間とともに変化することがある。 これらの系においては、不均一で時間とともに変化する運動性を 反映して、特徴的な拡散や緩和挙動を示す。

このような時間的に不均一かつゆらぐ拡散性を持つ系を表現するために、 我々は拡散係数自体が時間とともにゆらぐ物理量として表現されるという 新しいモデルを提唱している。このモデルは熱ゆらぎによる ランダム Brown 運動を記述する 標準的なモデルである Langevin 方程式をベースとしているが、 通常は定数であると 考えられている拡散係数 (あるいは摩擦係数) 自体がゆらぐとように 拡張されている。例えば、拡散係数が小さい状態と大きい状態の間を ランダムに行き来しつつ粒子が拡散していくような過程を表現できる。

拡散係数のゆらぎを考慮することで、 既存のモデルでは見落とされていたり表現が難しかったりした ダイナミクスを表現することが可能となった。例えば、拡散係数の ゆらぎを用いれば大幅に粗視化した 高分子ダイナミクスの表現や解析を行ったり、過冷却液体の緩和挙動等を 簡潔に記述することができる。理論のさらなる発展や実験系への適用等を 行っている。

過渡的な結合を用いたダイナミクスとレオロジーのモデル化

高分子等のソフトマター系では複雑な内部構造を反映した長時間にわたる ダイナミクスや特徴的なレオロジー挙動が観測される。 原理的には分子レベルのシミュレーションを長時間に渡って 行っていけばダイナミクスやレオロジーを調べることができるはずであるが、 現実的には計算コストの制約等のために長時間の計算は難しい。

そのため、興味ある遅い運動のみを効率的に取り扱えるようなモデル (粗視化モデル) を理論的に構築し、粗視化モデルを用いてシミュレーションを 行うという方法が有用となる。 粗視化モデルは分子よりも大きなスケールの構造を考え、 相互作用や特徴的な運動様式を再現するように設計されている。 しかし、構造を再現できるよう相互作用を調整しても運動がうまく 再現できなかったり、運動を変調させると構造が変わってしまったりという 問題があった。

そこで、我々は運動を変調するが構造には影響を与えないようなモデルとして、 過渡的な結合を導入した粗視化モデルを開発している。過渡的な結合は 構造同士の相互作用という形で表現され、これだけでは運動と構造を ともに変化させてしまう。ところが、統計力学的な手法を用いて 構造に与える影響のみをうまく打ち消すことができる。我々は 過渡的な結合によって運動のみを変調させることに成功した。 過渡的な結合の理論や種々の系への拡張等を試みている。

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(a) 多数鎖スリップスプリングモデル
(b) 過渡結合モデル
図: 過渡的な結合を用いたダイナミクスモデルのイメージ図

中程度に発泡した高分子発泡体の圧縮挙動

高分子発泡体は高分子でできたマトリックス中に気体が分散した 構造を取っている。高分子発泡体はその構造を反映 して軽量性と高いエネルギー吸収特性 (クッション性) を兼ね備える。高分子発泡体の 力学特性は発泡の程度 (どの程度気体を含むか) に強く影響される。 例えば、気体があまり含まれないものは頑丈だがクッション性は あまりよくない。逆に気体を多く含むとクッション性に優れるが 柔らかくなってしまう。

発泡体の物性は Gibson, Ashby によって系統的に調べられており、 特に空気を多く含む場合の物性はよく理解されている。ところが、 発泡を中程度におさえた発泡体の物性はまだ十分には理解されていない。 我々は中程度に発泡した発泡体を圧縮した際の挙動を実験的手法と モデル化を用いて調べた。 既存の理論では発泡の程度だけが重要であり、 穴の大きさや穴の不均一性といった因子にはあまり依存しないと考えら れていた。しかし、実験的に穴の不均一性が圧縮特性と関係していることがわかった。 また、顕微鏡観察とモデルを用いた解析から、穴の大きさの分布と 圧縮特性と定量的に関連付けることに成功した。

会合性テレケリック高分子のレオロジー

水溶性の高分子を水に溶かすと、溶液の粘度が上がる。 通常、溶かす高分子の量がわずかであれば、溶液の粘度の変化はわずかであり、 あまり大きな変化は見られない。しかし、高分子の末端に疎水性の官能基を 付けた会合性テレケリック高分子を水に溶かすと、わずかな量であっても 溶液の粘度が大幅に上がる。これはテレケリック高分子の末端が水中で 会合し、ネットワーク状の構造を作るためと考えられている。

単純に考えると、粘度の大幅な上昇は変形したネットワークが力を発生することと 末端が再会合することで徐々にネットワークの変形が解消できるためである。 しかし、ネットワーク構造やテレケリック高分子の詳細な運動については 諸説あり、実際にどのようなダイナミクスでレオロジー的性質が発現して いるのかは明らかではなかった。例えば、ある程度強い剪断変形をかけると テレケリック高分子水溶液はみかけ上粘度が上がるが、粘度が上がる機構に ついてはいくつかの仮説があるだけであった。

我々は系統的なレオロジー測定と理論モデルを用いた解析を組み合わせることで、 テレケリック高分子水溶液のダイナミクスとレオロジーを調べた。 テレケリック高分子水溶液中のネットワーク構造は高分子濃度によって 大きく変化し、低濃度では疎なネットワークが、高濃度では密な ネットワークが形成されていることがわかった (下図参照)。 また、低濃度の疎な ネットワークは剪断変形をかけると特定の方向に組み換えを促進するような ダイナミクスを示し、粘度が上がる理由であると考えられる。

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(a) 疎なネットワーク (低濃度)
(b) 密なネットワーク (高濃度)
図: 会合性テレケリック高分子水溶液中のネットワーク構造

高分子からみあい系のマルチスケールシミュレーション

高分子はモノマーが化学結合によりつながった紐状の巨大分子である。 高分子の運動性にはこの性質が強く反映され、重合度の低い短めの 高分子でも低分子とは違う動的挙動が観測される。 さらに、ある程度以上の重合度を持つ長い高分子では高分子が動く際に 他の高分子が障害となり、運動が制限される。このようなトポロジー的な 制約は「からみあい (entanglement)」と呼ばれる。

からみあいを持つ高分子系は重合度が大きいために分子動力学 (MD) シミュレーションで扱うのが困難であることが多い。そこでからみあった 高分子系を高速にシミュレートするための粗視化モデルが提案されている。 例えば Doi-Edwards 理論はからみあった高分子を管の中を運動する高分子と してとらえることでからみあい高分子系のレオロジーを予測している。 また、プリミティブチェーンネットワーク (PCN) モデルはからみあった 高分子系をからみあい点からなるネットワークとして記述することで 動的性質の高速シミュレーションを可能としている。

しかしながら、このような粗視化モデルは現象論的に導入されたもので あり、大きな成功を収めているものの粗視化の理論的基礎が十分に理解されて いるとは言えない。 また、粗視化モデル・シミュレーションを用いる際にはいくつかの 現象論的パラメータを用いねばならないとう欠点がある。通常これらの パラメータは実験値を用いるが、よりミクロなシミュレーションとの比較・ 連携を行う際にはパラメータはミクロなモデルから導かれる値を用いるのが 自然である。

そこで我々はミクロな粗視化 MD シミュレーションと PCN モデルの 連結手法を開発している。近年提唱されている MD シミュレーションから からみあい高分子系を記述するプリミティブパスを抽出する手法を用いることで、 MD シミュレーションから種々の統計量を導くことが可能となっている。 我々は MD シミュレーションから得られる統計量を利用することで PCN モデルに必要なパラメータを決定したり、PCN モデルと MD の 比較を行っている。

また、マクロスケールモデルへの埋め込みに特化した粗視化モデルの 開発も行っている。からみあった高分子系のマクロスケールの流動を シミュレートするためには、高速なレオロジー計算のための粗視化モデルが 必要である。我々は 1 本鎖スリップスプリングモデルに基づく高速 シミュレータの実装およびグラフィックプロセッサユニット (GPU) を用いた 計算の高速化を行っている。

ブロックコポリマー系の密度汎関数理論

ブロックコポリマー (block copolymer) とは異なる種類の高分子を 化学的に結合した高分子である (これに対して、単一のモノマーから なる高分子はホモポリマー (homopolymer) と呼ばれる) (下図参照)。 異なる種類の高分子は通常、水と油のように非相溶であり、ブレンドすると 相分離することが知られている。しかしながら、ブロックコポリマーは 高分子が化学的に結合されているために水と油のようにマクロなスケールで 分離することができない。その結果、ミクロ相分離構造 (micro phase separation structure) と呼ばれる 10 nm - 1 μm 程度のスケールの自己組織化された相分離構造が 形成される (下図参照)。

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ジブロックコポリマー
トリブロックコポリマー
図: ブロックコポリマーの例

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(a) ラメラ
(b) シリンダ
図: ジブロックコポリマーの形成するミクロ相分離構造の一例

ブロックコポリマーが形成するミクロ相分離構造はモノマー間の 相互作用の大きさ (χ パラメータと呼ばれる)、ブロックコポリマーの 重合度や構造 (何種類の高分子鎖から形成されているか、それらがどのように 結合されているか) 、ブレンド系であれば各ポリマーの体積分率等、様々な パラメータに依存する。これらの挙動を理論的に、あるいはシミュレーションで 予測できれば、ブロックコポリマーの物性の研究やひいては材料設計に 有効であると考えられる。

ブロックコポリマー系の相分離構造の研究に現在最も良く用いられ、かつ 高精度な理論は自己無撞着場理論 (Self Consistent Field Theory, SCF) である。SCF は任意の系 (任意形状のブロックコポリマー、それらから なるブレンド )に適用可能であり、高速なアルゴリズムも多数研究されている。 SCF は例えばブロックコポリマーメルトの相図の作成や トリブロックコポリマーのような複雑な構造のブロックコポリマーの 相分離構造の予測、ブロックコポリマー系のダイナミクス等、様々な 研究で用いられている。しかしながら、SCF はその精度の高さと引き換えに 大きな計算コストを必要とする。特に 3 次元系のような 大規模系では計算量、メモリ消費が極めて大きく、並列計算クラスタ等の 大がかりな計算機環境が必要になってしまう。

我々はこれに対して、密度汎関数理論 (Density Functional Theory, DF) を用いた研究を行っている。DF は SCF と比べると計算量、メモリ消費が 非常に小さいという利点があり、例えば安価なパソコンのような環境でも 大規模シミュレーションを行うことができる。DF の精度は SCF には 及ばないが、系の定性的な挙動を調べるには十分なものである。 しかし、我々以前の DF は適用可能な系が限定されていた。つまり、 SCF のように任意の系を扱うことができなかった。我々は SCF と同様に 任意の系を扱うことのできる DF を開発した (我々の DF に必要な パラメータセットは SCF と同等である) 。

ブロックコポリマーミセル・ベシクル

溶媒に対する親和性の異なる高分子からなるブロックコポリマーを 選択溶媒に溶かすと、ミセル (micelle) やベシクル (vesicle) といった ミセル構造が形成される (下図参照)。 これは水や油に界面活性剤を溶かした場合と非常によく似ている。

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(a) ミセル
(b) ベシクル
図: ブロックコポリマー溶液のミセル構造

ブロックコポリマーミセル・ベシクルはマイクロカプセルとして使用する ことができるため、ドラッグ・デリバリー・システム (drug delivery system, DDS) 等への応用が期待されている。ブロックコポリマーミセル・ベシクルは 実験的には様々な研究が行われているが、理論やシミュレーションを用いた 研究は実験に比べるとまだ少数である。

近年、SCF を用いたブロックコポリマーミセル・ベシクルのシミュレーションが 行われている。 我々の DF を用いて同様の系を扱えれば、ブロックコポリマーミセル系を より高速に扱うことができると期待される。

ブロックコポリマーのメソスケールダイナミクス

ブロックコポリマーの形成する構造は温度等のパラメータを変化することで 変化することが知られている。例えば、高温状態で一様なブロックコポリマーメルト を低温にクエンチすると相分離を起こし、やがて最終的な平衡状態である ミクロ相分離構造になる。

SCF や DF は平衡構造を、つまり十分な時間がたったあとに実現される 最終的な状態を予測することはできるが、平衡構造に至るまでの ダイナミクスを記述することはできない。SCF や DF を拡張して ダイナミクスを扱うための方法として動的密度汎関数 (DDF) 理論があり、 実際に SCF や DF と組み合わせることでダイナミクスが研究されている。

しかし現在よく用いられている DDF はその基礎方程式が現象論的な モデルであり、モノマーのミクロな運動方程式との関係性が不明瞭である。 また、ミクロ相分離の特徴的なスケールでは熱運動に由来する揺らぎの 効果が極めて大きく、揺らぎの効果を発展方程式に適切に取り込まねば 現実的なダイナミクスを記述することは不可能である。近年、ミクロな 運動方程式からメソスケールの時間発展方程式を導く理論が提唱されており、 我々の DF と適切な発展方程式を組み合わせることでブロックコポリマーの メソスケールダイナミクスを高速、適切にシミュレートすることが 可能になると考えられる。

実際、適切な大きさの熱ノイズを含む時間発展方程式を用いた シミュレーションを行うことで従来の現象論モデルでは再現することが 不可能だったブロックコポリマーベシクルの形成過程等を再現する ことができる。ブロックコポリマーベシクルの形成過程では ミセル同士の衝突・合一過程のような熱揺らぎに駆動される過程が 極めて重要であり (下図参照)、このようなダイナミクスを再現できる モデルは様々な場面で有用であると期待される。

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図: ブロックコポリマーベシクル形成メカニズム

シミュレータ開発

我々の開発した DF は任意の系に適用可能であるが、そのために多数の入力 パラメータを扱う必要があり、多少繁雑な計算を行わねばならない箇所もある。 扱う系が変わる度にシミュレータを再構築したり修正したりするのは 非効率的であるから、汎用的なシミュレータを作成することが望ましい。

我々はシミュレーションする系に対する様々な入力パラメータを 設定可能な密度汎関数シミュレータを構築している。入力パラメータは 例えばシステムサイズや格子点数、ブロックコポリマーの形状、モノマー間の 相互作用、ブレンドを構成するブロックコポリマーの体積分率等である。 このようなシミュレータを作成することで様々な系をより簡単に扱うことが できるようになると期待される。

このようなシミュレータは学術的価値を考えるとクローズドにするのは 賢明ではないと考えられる。各々のシミュレータがクローズドに開発 されていると、他の研究者は同様のシミュレータを再び構築せねばならない からである (シミュレータを商用にするのであれば話は別であるが) 。 理論やシミュレーション手法の発展を促すためには、シミュレータを ユーザーはシミュレータを自由に使用・改変・配布することができることが 望ましい。このような観点から、我々の 作成したシミュレータは GNU 一般利用許諾 (GNU general public license, GNU GPL) のもとでフリーソフトウェアとして配布する。

高速化・高精度化アルゴリズム

シミュレーションに必要な計算コストや得られる結果の信頼性は シミュレーションに用いたモデルだけでなく、用いたアルゴリズムにも 依存する。従って、シミュレーションを行う上でアルゴリズムは非常に 重要な意味を持つ。

しかしながら、モデルが多岐に渡るソフトマター系のシミュレーション では、各論となりがちなアルゴリズムは往々にして軽視されがちである。 また、そもそも非線形の強い連続場モデルや確率微分方程式の積分などに 対するアルゴリズムは十分に開発されていないのが現状である。

そこで、我々はシミュレータの開発と同時にその系を扱うために 適切なアルゴリズムの選択・構築、あるいは既存のアルゴリズムの 検証を行っている。これらは専門的なアルゴリズムの研究と比べると ごく初歩的なものではあるが、シミュレータの高速化・高精度化に 大きく貢献するものと期待される。

また、近年、単一の CPU コアの性能向上が難しくなったことから 複数のコアを搭載した CPU や特定の計算に特化した専用計算機が 登場してきている。このようなアーキテクチャの変化はアルゴリズムの 観点から興味深い。そこで、専用計算機上でのアルゴリズム開発の 協力も行っている。


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